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自転車レース 「死」にまつわる話



100年を超える長い長いレースの歴史。
しかし歴史はなにも輝かしいものだけではありません。 
今日はレース史の黒い部分に迫っていこうと思います。
【ドーピング 薬物にまつわる死】

1967年 トム・シンプソン

もしかしたら自転車選手の非業の死としてはもっとも有名な死かもしれない。
彼は世界選手権に優勝した、マイヨ・アルカンシェルを着る資格をもつ立派な選手だった。
彼が死んだモン・ヴァントゥは木々がなく、石灰岩が到る所に落ちている殺風景な山だった。
今では「死の山」「魔の山」といわれているが、この景観もさることながら、彼の死が関係していることは否定できない。
このモン・ヴァントゥを通る日は灼熱の暑さだったらしく、最高気温は40度を超えた。
場所によってはアスファルトが溶けるほどの暑さであり、黒いアスファルトから照り返された熱により選手達は40度以上に感じていたのは間違いない。
最低の天候のステージをとっとと終わらしたい選手達だが、ゴール地点にいくには2000mのそびえたつこの山を越えなければいけない。
トム・シンプソンは始め疲れを感じさせない昇りでこの山を登っていたが、次第に力を失っていきゴール前3キロ地点 
彼は蛇行し始め脇のガレキに突っ込んで倒れてしまったのだ。
観客は駆け寄り手を差し伸べたが、「立たせてくれ、行かなくては」言った彼を自転車に乗せてあげたものの、
すぐにふらつき始め、彼は昏倒し意識を失った。
ヘリコプターですぐに病院に搬送されたが助からなかった。
そんな彼のポケットから出てきたのは興奮剤であるアンフェタミンだったのだ。

今では厳しいドーピング検査が引かれ、現在のツール覇者であるアルベルト・コンタドールも今疑惑が向けられている。
ツールは薬物との闘いとも言われ、薬物を使う選手、それをチームぐるみで強要するなど多くの問題があった。
しかし当時科学的トレーニングというものがない時代、今のように効率よく摂取できる補給食だってない。
選手からすれば薬を使うなというほうが酷な話だったのかもしれない。

有名な言葉としてこんな言葉がある。

「ミネラル・ウォーターだけでボルドー〜パリを走ることができるなんて考えられるかい?」

これを発言したのはツールを優勝したことがある名選手 ジャック・アンクティルだった。
当時からドーピングは当たり前のものとされていたのだ。 
確かに路面は十分に舗装されておらず、アシストも満足に受けられない。
さらに距離は今よりも長く過酷で、機材だって今の20万程度のアルミ完成車に機材で圧倒的に劣る水準だったのを考えれば、
今にしてみれば驚異的な話である。
ドーピング検査を行うことに対して選手がボイコットするなんてこともあったのだ。

しかしトム・シンプソンの死がその状況を変えた。
薬物で死者が出た以上選手もそんな悠長なことはやっていられなくなったのだ。
彼の死により、ドーピングが悪であるという道徳がようやく根付いたのだ。
だが彼の死の以後にもアンフェタミンの摂取で死亡する選手は数人出ている。  こりないやつら。

彼の死は不吉なことに7月13日 13ステージ 総合13位の日だった。
不吉な13がここまで並んでいるとただならぬなにかを感じずにはいられない。

【時には時速100キロを超える! 下りでの死亡事故】

1935年  フランシスコ・セペーダ

ツール・ド・フランス最初の犠牲者は第29回大会だった。
犠牲者はフランシスコ・セペーダだ。
セペーダはこの大会で4度目の出場になるベテランだった。
亡くなった場所は今ではお馴染みの山岳 ガリビエ峠。
ここの下りで彼は単独で落車したのだ。

今のツールであれば審判や観客、中継カメラなど多くの目に触れられているため事故を起こしても
すぐ救助活動されることが多い。

しかし29回大会ではまだツール・ド・フランスは小規模な大会という認識であり、今ほど沿道に詰め掛けてはいなかったのだ。
彼の不運は「まわりにだれもいなかったこと」 これに尽きる。
集団の後方を走っていた彼は頭蓋骨骨折という重症を負うも、誰にも気づかれず路肩の溝に落ちて倒れていた。
それをたまたま溝を覗き込んだ審判に発見され、落車を起こして時間が経過してから彼は病院に運ばれたのだ。
病院の治療の甲斐はむなしく、彼は3日後息を引き取った。

この時代はヘルメットの着用は特に義務付けられていなかったため、落車して死亡する選手はかなり多かったそうです。
ではこの事故を教訓にしてヘルメット着用は義務付けられたのか?  残念ながら義務付けられてはいない。
義務付けられるようになったのは彼の事故から70年経とうという2003年で比較的最近なのだ。
ヘルメット着用に関しては昔から議論され続けてきたものの、ことある事に選手達は反対運動をしてきた。
時にはレースをサイクリングペースで走り、時にはレース事態をボイコットする時代も。

しかし1995年 もう一人の選手の死がこの議論について選手達を消極的にしたのかもしれない。

1995年 ファビオ・カザルテッリ

この年はミゲル・インドゥラインが5連覇を成し遂げためでたいツールではあった。
しかし彼の無残な死に様に誰しも胸を痛めるはずだ。
事故が起きたのは15ステージでのこと、トゥルマレを含む5つの山を越える山岳ステージだ。
事故はまたもや下りで起きた。
スタートを切って一時間少しした約30キロ地点、下りの左カーブで数人が落車したのだ。
集団はかろうじてまきこまれることはなかったが、多くの選手は路上に横たわったままだった。
あるものは骨盤を骨折したし、あるものは集団に追いつくのも難しいほど疲弊していた。

しかしカザルテッリは大量の血を流し、坂が血に染まるほど出血していた。
カーブでバランスを崩したまま彼はコンクリートブロックに顔からつっこんでいたのだ。
一目でもうだめかもしれないと誰しもおもうほどに壮絶な現場だった。
下りのカーブであれば多少の減速はするものの、時速50キロ以上は硬い。
当然そんな速度でコンクリートに顔面から突っ込めばどうなるかは明白である。

カザルテッリはバルセロナオリンピックでチャンピオンになった注目の選手であり、彼が生きていれば勝利を挙げた選手の名前は何人か彼の名前になっていたかもしれない。
翌日はカザルテッリを弔う走行となり、選手達はアタックをせずに黙祷をするように走り続けた。
そしてゴール前ではカザルテッリの親友アンドレアに全ての選手が道を譲り彼は勝利をカザルテッリに捧げたのだ。
このステージは弔いステージとなったため順位はつけられなかったが優勝賞金や各賞には賞金が出た。
その全てカザルテッリの遺族へと寄付されたそうだ。

彼は当時のちに7連覇を成し遂げるランス・アームストロングのアシストであり、第18ステージで勝利したランスは彼に捧げるかのように天に指を何度もつき立てた。

この頃にはツール・ド・フランスは世界中に放送され、日本でもフジテレビにてこのレースは放送されていた。
この有望な選手の死が与えた衝撃は計り知れないものがあるはずだ。


【レースにまつわる多くの死】
レース中予想外の事故で亡くなるケースも多い。
1971年 当時の世界チャンピオンジャン=ピエール・モンスレは練習のため参加した小レースにて、
コースを逆走してきた車に轢かれアルカンシェルを身に纏ったまま死亡したのだ。
当時22歳で将来有望である彼の死は、自転車レース界のこの後の歴史を替えてしまったのかもしれない。
頭角を現していたエディ・メルクスと良きライバルになりえたとまで言われる人材なのだ。 それほど多くのレースで彼は勝ってきた。

時折飛び出してくる観客の飼い犬に接触し転倒する落車 今では「わんわん落車」という名で親しまれており近年も何度かあった。
しかし84年にはゴール前で出てきた犬をよけきれずに死亡したジョアキム・アゴスティーニョという選手がいたのだ。
彼は死亡時42歳 引退を間近に控えた死だった。

レース中に死亡するのはなにも選手だけではない。
テレビが普及する前はラジオ中継にてレースの状況が放送されていた。
それは今で言うバイクカメラにアナウンサーが後ろに乗り、追いかけながら実況するというものだ。
しかしこれが悲劇を招いた。  ピレネーでラジオサポーターを乗せたオートバイがそのまま崖下へ転落。 即死した。

ステージレースにはキャラバンというものもつき物だ。
スポンサーであるメーカーが選手が走るコースを巡り、観客達に製品を渡して宣伝するのだ。
これが来れば選手達がもうすぐここを通るという合図でもある。
しかしこのキャラバンカーに轢かれて死亡する人が大変多い。
近年では2000年と2002年と短いスパンで子供が二人轢かれて亡くなっている。

このような痛ましい事故が多くありながらも、レースは無くならない。
それほどにレースが人々を熱狂させるからだ。 
それほどにレースが美しい面がたくさんあるということを欧州の人たちは親子何世代にも渡って知っているからだ。

歴史の影に死は付き纏うものですが、その人の死があったからこそ今の自転車レース界があるということを決して忘れてはいけないはずです。
きっとこれからも悲劇が起きるたびにレースを通して人々は何かに気がつくのかもしれません。



参考文献
本・ツール100話 ツール・ド・フランス100年の歴史
ウィキペディア  ほか多くの自転車関連ブログ様

カテゴリ: スポーツ
2010年10月23日 21時06分24秒 Posted by みあぎ ( 18,068 PV ) 勢い:7


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1 名前:名無し@ガガリアン 2010/10/23(土)21:51:11. ID: ff2c6782p
犬禁止にならんもんなのか
2 名前:名無し@ガガリアン 2010/10/23(土)22:00:06. ID: 32e78b7ep
最近になって良記事が増えてきた気がする。
やはり、あずにゃん(戸松)とみーたんが消えたおかげか。
3 名前:名無し@ガガリアン 2010/10/23(土)23:31:19. ID: 9fd7ba2fp
みあぎの自転車ネタは鉄板だな。
この記事を見ると
弱虫ペダルの事故話なんかは
描写が軽い気がしないでもない。

難しいことだ。
4 名前:名無し@ガガリアン 2010/10/24(日)00:05:45. ID: 0e0571bbp
一つのレースでこれだけの人が死んでいるとは。悲しくなってくる。
5 名前:名無し@ガガリアン 2010/10/24(日)14:35:54. ID: 79a65335p
自転車も自動車も危なくて乗れねえな!
とふざけてみる。
6 名前:名無し@ガガリアン 2010/10/24(日)16:14:29. ID: 96934c01p
GIANTのエスケープにのってる
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やっぱりスポーツとして危険度が高い部類に入るんだろうな
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あれ?カザルテッリ追悼レースの最後ってモトローラーの選手達が横一列になってゴールだったんじゃなかったっけ?