ランキング

最新記事30件


最新コメント30件

漫画


マイページ

ジャンル

RSS

検索


携帯版QRコード

※全機種に対応してるか分かりません

統計

総記事数:2512 件
総記者数:462 人
総コメント数:38,146 件

 

【あの年のツールを振り返る】 伝説の逆転劇 ツール・ド・フランス1989



100年以上の歴史がある自転車レース ツール・ド・フランス。
3週間で約3500キロという長い長い戦いが繰り広げられる伝統的なレースです。
今回はその中から1989年に行われたツール・ド・フランス1989 第76回大会をピックアップします。
【ツール・ド・フランス1989とはどういう大会だったのか】
この大会は近年優勝経験がある実力者3人が集う大会ということもあり、
誰が優勝してもおかしくないということで注目を集めた年でした。

一人目はフランス出身の選手 ローラン・フィニヨン。

CORVOS_00006429-050.half_350.jpg

(あまり私を怒らせないほうがいい)

眼鏡っ子でポニーテールという究極の萌え属性を二つ付与してみたけど失敗した感じの彼。
知的な風貌から教授と呼ばれ、1984年 1985年を連覇したフランスを代表する選手です。
ライバルであるフランス人 ベルナール・イノーが引退し、3年間外国勢に奪われ続けてきたマイヨジョーヌを取り返せる唯一のフランス人だろうと目されていました。

2人目は1988年優勝者 スペインのペドロ・デルガド

delgado_tdf1988.jpg

(そんなにらまないでください)

爽やかな風貌で身長170cmと小柄でとても強そうに見えない彼ですが、
山を得意とするクライマーとして険しい山岳で屈強な選手達をぐんぐん追い抜いてく姿に
多くの人が魅了されました。
山岳ステージであるピレネー山脈 アルプス山脈で活躍が期待されていました。
彼が優勝したこの年は上記のフィニヨンが大不調であり、途中リタイアした年でもありました。


そして3人目 アメリカ出身 グレッグ・レモン

-7b251.jpg

(なにやってんだ あいつら)

1986年を優勝し、師匠であるベルナール・イノーが引退したため来年も彼が勝つだろうと言われていました。
しかし1987年 プライベートで狩りをしているときにうっかり従兄弟に散弾銃で狩られるてしまう事件が発生し表舞台から姿を消していました。
しかし37もの散弾片を身体に浴びながらも、丸2年かけて返り咲いたヒーローとしてこの年注目されていました。


1989年は優勝経験者であるこの3人が競い合い、誰が優勝してもおかしくない。
そんな熱い予感を感じさせる年だったのですが、第一ステージで意外すぎる出来事が発生しこの三つ巴体勢がいきなり崩れ去ります。


【波乱尽くめのタイムトライアル】

第一ステージ  レース形式は個人タイムトライアル。
わずか7.8キロという短距離ということもあり、選手の顔見世でもあるプロローグレースです。
今年はジロ・デ・イタリアを優勝してきたフィニヨンが絶好調で2位のタイムでゴール。
復活のグレッグレモンも4位に入る好調さを見せます。
そして昨年優勝者ペドロ・デルガド 前年チャンピオンのため最終走者としてスタートを切るはずが、
なんと時間になってもやってきません。

初日の最終走者なのに遅刻です。

遅刻の理由は練習でもう一周してみたらこれだよ!と後に語っておりますが、
スタート地点に着いたのは合図が出てから2分40秒が経過した頃。
もちろん遅刻分もタイムに加算され、初日から前年チャンピオンが198位の最下位になるという前代未聞すぎる出来事でこの年は幕を開けました。


さらに二日目 チーム対抗タイムトライアル。 
ここでもデルガドはしでかしてしまいます。
エースである彼が遅れ始めたのです。 
本来であれば遅れた選手は切り捨てるのたチームタイムトライアルですが、
デルガドを優勝させるためのエースである以上、タイム差が開くので切り捨てるわけにはいきません。
ペースダウンが余儀なくされ、結果的にデルガドが所属するレイノルズは最下位で終わります。
ちなみに遅れてしまった理由はエネルギー不足であるハンガーノック。
ようするに「お腹が空いて力が出ない」とどっかのカバオみたいな理由でした。
短距離で競われるタイムトライアルにおいて、ハンガーノックになるのは自分の体調管理が出来ていないあるまじきミスでした。
この日フィニヨンの所属するスーパーUは絶好調でフィニヨンは順位を1つ上げることに成功し、
レモンは無難にゴールしタイム差を最小限に抑えます。
フィニヨンはレース後に「デルガドのタイム差は救いがたい」とコメントしており、腹の中では笑いがとまらなかったかでしょう。
たぶん「デルガドさんwwwこのタイム差はちょwwww救いがてぇっすよwwwwうはwww」という感じです。


次に動きがあったのは5日目のまたもやタイムトライアルでのことでした。
やたらタイムトライアルが多い年な気がします。
レモンがこの日総合一位に輝き、久しぶりにマイヨジョーヌに袖を通します。
優勝した1986年以来です。 レモンという名前の通り黄色いマイヨがよく似合います。
しかしフィニヨンは5秒差で2位につけており、いつ逆転してもおかしくない位置です。
このときデルガドはなんといつのまにか6分差の28位にまで順位を上げており、
後続から寝首をかかんと虎視眈々と狙いを定めていました。
エースの肩書きは伊達じゃぁありません!


【デルガド爆発のピレネー山脈】

ツール8日目にはついに山岳ステージ 文字通りの山場であるピレネーステージに突入します。
今までは平地が続いていたためレモンの得意とするところでしたが、ここからはクライマーであるデルガド、そしてチームの総合力が高くオールラウンダーのフィニヨンに分があります。
さらにレモンは所属チームが下位のチームということもあり、仲間のアシストに期待が出来る体制ではありませんでした。
期待されていても散弾銃に打たれた男が3年間のブランクを跳ね返せるとはスポンサーは誰も思っていなかったため、ADRチーム以外手を差し伸べてくれなかったのです。
そこでレモンがとった作戦はコバンザメ作戦。
フィニヨンをチーム全体でがっちり固めてひっぱりアシストするスーパーUにくっついていくものでした。
ペースメーカーとして利用し、なおかつ2位のフィニヨンにタイム差を詰めさせない作戦です。

だがここでデルガドが本領を発揮!
得意の山 そして祖国スペインそばといういわば庭のようなステージなのだから気張らない理由がありません。
ぐんぐん速度が上がりアシストたちを使い突き進み、タイム差を大きく縮めます。

このいきおいは翌日 より難易度が高い山に挑んだときもとどまることを知りませんでした。
上がるペースにフィニヨンのアシストたちはついていこうとするものの、あまりの速さに体力を浪費します。
だがいくら浪費しても追いつくことが出来ない! 
さらにゴール前2キロ地点からデルガドがアタックをしかけ、ステージ優勝狙いのZチームの選手と共同戦線を張り差を広げます。
このステージの優勝を譲る代わりに敵同士ながらも手を組んでタイム差を広げる作戦で2位でゴールを果たします。
その時点でレモン フィニヨンから1キロも差が開いており、フィニヨンはこれ以上総合タイム差をデルガドに詰められないよう、そしてレモンはフィニヨンに逆転されてマイヨジョーヌを奪われないようピッタリとついていきます。
しかし山岳を苦手とするレモンはゴール前のフィニヨンのアタックについていけない!
このステージではあえなく総合一位の証、マイヨジョーヌを渡すことになります。

デルガドはこの時点でなんとタイム差を2分53秒まで詰めて4位まで返り咲きます。
なんとこの日だけで3分以上もタイム差をつき返すことに成功したのです。

レモンもフィニヨンとはわずか7秒差といつまた奪い返してもおかしくない状況。
レモンとフィニヨンの奪い合い、そして一発逆転が狙える位置にいる快進撃のデルガド。
再度三つ巴になることでこの年のツールは大きく盛り上がりはじめました。

【イベント尽くしの展開】

ピレネーステージが終わったあとは再度平らなステージが続きます。
しかし気温30度を超える猛暑と連日走り続けてきた選手に疲労が襲い、
落車が発生します。
残っている選手の1/4以上にあたる50人以上が転倒する悲惨さを極めました。
さらにゴミ処理場建設の反対運動を行う集団によるレース妨害行動にも見舞われ、
レース展開とは別の所で不運に見舞われます。
しかし革命記念日のレースではフランスカラーで装飾した自転車にまたがったフランスの選手が上位を独占するなどフランス中を沸きあがらせる出来事もありました。

【第二の山岳 アルプス山脈】

波乱の平坦区間を抜けると次はアルプス山脈に突入します。
タイム差は相変わらず7秒差でフィニヨンにピッタリとくっついてきているレモン。
そしてまだタイム差が開いているものの、ここからのアルプスで一気に縮めてきそうなデルガド。
二位以下は一位とだけ戦っていればいいものの、一位は二位以下全てと戦わなければなりません。
そういった意味ではタイム差があまりない強豪2人ににらまれたフィニヨンは栄光のジャージを着用しながらも気が気ではいられない状況でした。

アルプス初日は山岳タイムトライアル。
誰が一番早く登りきるかというステージです。
クライマーであるデルガドは得意分野といえど、2分以上あるタイム差をつき返すには山岳ステージで毎日全力を出し切らなければならないのでつらいところですが、この日は4位でゴールしタイム差を縮めます。
しかしレモンも負けてはおらずデルガドにわずか8秒遅れというタイムで隙を見せません。
ですがフィニヨンは対照的に調子が悪く、2人に50秒ものタイム差を許してしまいます。
スタート前に7秒あったリードは40秒も広げられてしまい、ジャージを奪われてしまいました。
でもフィニヨンはまだ諦めていません!「奪われたジャージはまた奪い取ればいいだけだ」とこの日を締めくくりました。

翌日はツールのコースでも難易度が高いことで知られているガリビエ峠です。
わずか5時間で富士山を由に越える獲得標高4000mを登るコースです。
さらに頂上は標高2000mを超えるにもかかわらず、気温は30度を超える地獄の世界です。
あまりにも過酷なためここを一位で通過した選手の名前は記録に刻まれ、
刻まれた中には王者の中の王者カンピオニッシモのファウスト・コッピ 
人喰いのエディ・メルクス 
トレドの鷹のフェデリコ・バーモンテス 
コロンビアの英雄 ルイス・エレラ 
走る哲学者マルコ・パンターニ 
現在も活躍中のカザフスタンの星 アレクサンドロ・ヴィノクロフ
と錚々たるメンツの名前が輝きます。

このガリビエ峠では3人は一進一退で均衡状態が続きます。
しかし1位のレモンとのタイム差を縮め、なおかつ山を得意とする3位のデルガドにタイム差を詰めさせたくない2位のフィニヨンが後半 猛アタックをしかけます!
レモン デルガドは追従するもの、レモンがついていけない!
このステージで2人についていくことは出来ないと悟ったレモンはペースを落とします。
デルガドは離されまいと限界ギリギリでフィニヨンを追いかけ猛攻を凌ぎます。
終わってみればデルガドがゴール前で抜いたものの、同時ゴールのフィニヨンとタイム差はゼロ。
だがレモンとのタイム差を20秒以上もつけて成功したフィニヨンからすればデルガドに差を縮めさせずにレモンにタイム差をひらいた逆転でマイヨジョーヌを取り戻すことに成功したベストなステージでした。

この時点で1位はフィニヨン 2位に26秒差でレモン 初日遅刻で最下位だったデルガドが1分55秒まで詰めて3位という三つ巴がまだまだ続きます。

翌日のステージではフィニヨンがまたまたアタックをしかけます。
勝っているとはいえわずか26秒 この差は心もとない。
となればレモンが苦手とする山で引き離すしかありません。 
アルプス最終ステージなだけにフィニヨンはトドメを刺しに行きます。
これにレモン デルガド共に反応するもついていくことが出来ません。
デルガドだってここがタイムを大幅に縮める最後のチャンス! 負けてはいられません!


が、駄目!


終わってみればフィニヨンはこのステージだけでレモンに24秒を デルガドに33秒をつけて差をひらき、この日はデルガドにトドメを刺すことに成功します。

この時点で18ステージまで消化し、残すところわずか3ステージ。
あとはレモンにタイム差を縮められないように残りの平地でしっかりマークすればフィニヨンの優勝は確実です。

この日の夜放送されたニュースインタビューでは
「フィニヨンさんスーパーマンっすからwwwwww」
「レモンとデルガドにお見舞い申し上げますwwwm9(^Д^)プギャーwwww」
「俺アメリカ人だけどフランス最高っすねwwww」
「ということでめでたしめでたしwwwワロスワロスwwwww」

ニュー速民もびっくりの手のひら返しっぷりです。

でもレモンの奥さん キャシー夫人だけは諦めてはいませんでした。
「フィニヨンもすごいけど、グレッグも同じぐらいすごいことが出来るわよ」
と答えていましたが、この言葉は後に感慨深いものになります。

【激熱のフィナーレ】

アルプスから2ステージを消化してもなおフィニヨンはマイヨジョーヌを守っていました。
タイム差はあいかわらず50秒。
種目は28キロで争われるゴール地点パリのシャンゼリゼへと返り咲く個人タイムトライアル。
タイムトライアルはレモンの主戦場でありながらも、短距離で1秒を競い合うこの種目において、全てを出し切る最終日 100%の力でぶつかってくるフィニヨン相手にわずか28キロで50秒差をつき返すのはもはや不可能。
現実的に見てもありえないことでした。

いえ、ありえないはずの出来事でした。

レモンがシャンゼリゼに帰ってきたとき。 差はわずか6秒まで縮まっていたのです。
そしてレモンがゴールをくぐったとき、フィニヨンに許されるタイム差はわずか2秒でした。
レモンのゴールタイムは26分57秒。
フィニヨンは27分46秒以内にゴールをしなければいけません。

この残り3キロをレモンと寸分たがわぬペースで走りきればフィニヨンが優勝します。

(7分30秒から)

ゴール後に自転車ごと倒れ崩れ去るフィニヨン。


そして、歓喜のレモン。


3200キロという距離を走ってきた男達のゴール時の総合タイム差はわずか8秒。
これだけタイム差が少ない一位と二位は2010年大会まで含めてもありません。
ちなにもこのときレモンがたたき出した平均時速はなんと54.545km。
この速さもカーボン全盛 空力を追求し尽くされた今の最新機材を持ちえた選手達でもこの大会から20年経ってなお、未だに抜くことが出来ない驚異の記録です。


【余談+解説】

当時使われていたタイムトライアルバイクはファニーバイクという規格で前輪を後輪より小さいホイールを採用したバイクです。 
この規格はあまりにも速すぎてアワーレコードもなんなく更新されたため現在では使用禁止となってはおりますが、それでもフレームがクロモリでカーボンパーツはまったくない時代。
機材のレベルを今と比べて考えれば企画的に勝っていてもそれでも驚異的です。

大会終了時のペドロ・デルガドの順位は3位でタイム差は3分34秒。
しかしこれは優勝の可能性が無くなった山岳ステージのレース以降、
順位をキープするため集団で走っていたためです。
山岳の最終ステージでついた差は2分28秒。
そして初日に遅刻したタイム差は2分40秒。
さらにチームタイムトライアルでもハンガーノックによる最下位ゴールでタイム差を失っています。
もしこのミスが、せめて遅刻さえなければ、レースはもっともっと違う展開を繰り広げられていたことは間違いありません。
ですがこれだけのミスがありながら3位に上り詰めたデルガド そして所属するレイノルズチームの総合力は賞賛の価値があると思います。

彼がチームタイムトライアルで遅れたとき、レース後に監督に大してインタビューが「エースはインデュラインに交代するのかい?」と聞いています。
インデュラインとはこの2年後ツール・ド・フランスを制し、5連覇を成し遂げる名選手です。
デルガドをここまで引き上げたのもインデュラインたち 名アシストがあってこそです。
この頃にはすでに才能の片鱗を垣間見せていますね。

この時代はまだ選手が無線をもっていない頃でした。
無線が導入されてからはチームのまとまりがあがり戦略性がとても高くなるわけですが、
このときのような奪い合いを感じさせるレースは少なくなります。
現在お偉いさんが無線禁止にしようと動きを見せていますが、選手達からは落車情報や故障をいち早く知らせることが出来る手段でもあるため反対の声が上がっています。
選手のことを考えればありなのですが、熱いレースを見たいとなると・・・・ ちょっと気持ちがわかります。

この年はもう一人優勝経験者が出場していました。
イタリアのステファン・ロッシュです。 長い自転車競技の中でも2人しか達成したことが無い同じ年にツール・ド・フランス ジロ・デ・イタリア 世界選手権の3つを制覇するトリプルクラウンを1987年に達成した伝説級の人物です。
しかし彼はこの年膝の故障によりピレネー初日にリタイアしてしまい優勝争いに絡むことはありませんでした。

最終日タイムトライアルで栄誉あるフランス人が嫌いなアメリカ人に大逆転負けをするというこのレースはフランス人のトラウマとなりました。
最終日にタイムトライアルを設けたことにフランス人から批判が殺到し、この1989年以降、ツール・ド・フランスの最終日で個人タイムトライアルが行われたことは一度もありません。
基本的には最終日で逆転が起きないように凱旋レースとなっています。  

フランス人 情けなさすぎてワロタwww


参考資料 ウィキペディア  ネットブログ多数  NHKDVD ツール・ド・フランス1989


記者ツイッターアカウント miagi1552

カテゴリ: スポーツ
2011年05月01日 12時07分13秒 Posted by みあぎ3 ( 12,492 PV ) 勢い:6


この記事の評価
みあぎ3 記者の過去記事
 ハンドメイドバイシクルフェア2011を大体網羅してきました。
2011年01月23日 18時03分15秒 | PV( 21825 ) | コメント( 13 )
 どうすりゃ勝ちなの? ちょっとわかりづらい自転車ロードレースの勝利条件
2011年02月04日 17時39分18秒 | PV( 19443 ) | コメント( 11 )
 【自転車選手 】あまりの強さにこう呼んだ。  ふたつ名を名づけられた選手達!
2011年02月11日 08時05分47秒 | PV( 43394 ) | コメント( 11 )
 【我らがくりりん】 宇都宮ブリッツェン監督 栗村修語録 【自転車】
2011年02月12日 10時10分35秒 | PV( 18301 ) | コメント( 10 )
 『食い続けなければ生き残れない』 自転車乗りの食事事情
2011年02月25日 23時37分16秒 | PV( 62411 ) | コメント( 44 )
もっと見る

コメント(リンクの記載「http://」は行えません)
1 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/01(日)12:52:46. ID: b713121ep
ちょっと前にTwitterフォローさせてもらった
2 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/01(日)13:30:08. ID: 6829ba30p
平均54km/hとか・・・
どんな脚してんだ
3 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/01(日)19:57:21. ID: 0fbba6b0p
長い
4 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/01(日)21:50:07. ID: 051cd993p
長いの?!チョクでここに来たんだけど
5 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/01(日)22:07:49. ID: 96e33877p
ローラン・フィニヨンって去年亡くなってんだな
てか、20代に見えなさ杉わろたwwwwwwww
6 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/01(日)22:27:27. ID: 20915e34p
読み応えがあってよかった個人的には良かったのだが
しかしフランス人ェ・・・
7 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/02(月)06:34:06. ID: 05ab21aap
1枚目の真ん中の人
TVで見たオカマの人かとオモタ
8 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/02(月)09:48:01. ID: c5e0c265p
ローラン・フィニヨンの写真には産経的悪意を感じるw
そしてペドロ・デルガドの写真がビリーの兄貴に見えた自分は以上
9 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/02(月)10:31:09. ID: cefd7e9fp
凄く面白い記事でした
男たちの熱い戦いは気分が良いですね
10 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/02(月)13:35:11. ID: 2327e367p
懐かしいなあ。NHKでTdFを放送してた時代ですね。
フィニョンはイノーのアシスト時代はまだ大学生だったはずで、
それもプロフェッサーの異名の由来じゃなかったかな?
(日本と違い、ヨーロッパではプロになる力があるのにわざわざ大学行く選手はあまりいない)
11 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/03(火)23:34:14. ID: 557d4d66p
山登るのが得意な奴とスプリントが得意な奴といるらしいけど
どこに差があるのかな
どっちも同じ脚の筋力じゃないかと思うのだけど
12 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/04(水)01:04:21. ID: 3834fe26p
持久力のある筋肉と瞬発力がある筋肉は別物だからね。
山ではたくさんまわし続けられる奴が速いから、持続的に使うことが出来ないスプリント系の筋肉は肥大化して重いから登りは基本不利。
長い間使える持久力のある筋肉は爆発力が無い代わりに肥大化しないから軽くて登りが楽。 そして漕ぎ続けられるから速い。
13 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/07(土)18:06:04. ID: 30a45107p
こん時のフィニョンって股ズレで苦しんでたんじゃなかったっけ?
14 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/24(火)20:54:52. ID: 5a5a55e8p
フィニョンがツールで勝ったのは'83,'84年じゃなかったか?'85はイノーが5勝目を挙げてる。
15 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/24(火)21:11:00. ID: 5a5a55e8p
それにロッシュはアイルランド人だ。出直して来いニワカ者が。だが全体的に見れば良記事乙。
16 名前:名無し@ガガリアン 2011/05/29(日)17:00:02. ID: 09998314p
良い記事だが、↑上の奴が気にくわねぇ。
偉そうだな、今度はてめえが書いてみろ!
出入り禁止レベルかどうか、評価してやろうか?

インターネットて言うのは、タダで読んでいる情報なんだよ、そこを間違っちゃいけないよ?

こういう場合は、「ロッシュはアイルランド人の間違いじゃないでしょうか?いつも良い記事ありがとうございます♪」とか書けば、お前の高感度もアップってもんだよ。

自転車乗りって、知識の多さが偉いって思ってる奴多いよね!
しかも、間違った知識教えてくる場合もあるし。
要するに、その人の品格の問題なのだが…自転車乗りでも、良い人は謙虚だよ。
17 名前:名無し@ガガリアン 2011/07/18(月)21:05:49. ID: 13490a31p

コイツがいちばんクズだな。はやく死ねよオマエ。
18 名前:名無し@ガガリアン 2017/07/09(日)04:09:15. ID: 04b80bf2p
投稿から大分時間がたってから見つけた記事ですが面白かったです。
ただ…… ウソはいけません。 この当時既にカーボン素材はあります。 てか86年にレモンが優勝した時に使用していたバイクがツール史上最初のカーボンフレームバイクですよ。
この当時は今と違って選手が自腹でフレーム買ってそれを使用することの出来た時代でTVT(現TIME)製のカーボンフレームがそれなりに出回っていましたよ。