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91歳 ブラジル被爆者平和協会の会長らが来日 核のない世界願う



70年前の広島・長崎における、米軍による原爆投下。多くの死者を出した悲惨なものだった。被爆者は今なお、国内に20万人近くが生存している。しかし、それだけではない。2013年3月時点で、約4450人の在外被爆者(被爆者健康手帳所持者)が日本以外の地で暮らしている。

8月14日、JICA横浜・海外移住資料館にブラジル被爆者平和協会(本部・サンパウロ市)から森田隆会長(91)、盆小原国彦副会長(75)、渡辺淳子理事(72)の3人が来場した。在外被爆者にスポットを当てた特別展「海を超えたヒロシマ・ナガサキ」の関連企画の一環で、展示の作者であるアーティスト竹田信平氏(36)とのトークイベントを行った。(左から盆小原氏、森田氏、渡辺氏、竹田氏)

森田氏は大正13年生まれの91歳、非常に元気な様子だ。憲兵だった21歳の時に原爆が落ちてきた。「道路上で原爆に遭い、3日間飲まず食わずで頑張りました」。すぐ9月には広島の憲兵隊に復帰し、10月には公職追放されて田舎の両親の下に帰った。そのまた翌年、広島に入って焼け跡の舟入川口町で時計の修理店を出した。「そして22には理想の女性が見つかりまして、戦後1年目に結婚しました。家内も被爆者でした。被爆者同士の結婚。あの当時、2年の寿命と言われましたが長女・長男が生まれ、11年目に縁があってブラジルに移住しました。それが私に与えられた運命だったと思うのです」と語る。

移住時は、「必ず儲けて10年経ったら帰るんだという気持ち」だったという森田氏。言葉も分からず、血の出るような生活だったが「日本に帰る」という弱音は家族の中でタブーだったという。力を合わせて4人生活し、子供たちはサンパウロで大学にも行き、孫にも恵まれた。

1984年、ある被爆者補償の新聞報道がきっかけになり「在ブラジル被爆者協会」(現在はブラジル被爆者平和協会)を17人で結成。89人の被爆者を探し、名簿を作り、夫妻で日本に一時帰国した。まず最初に行ったのは故郷の広島だった。しかし市役所の被爆対策課に行っても「けんもほろろでした。ブラジルにそんなに被爆者いる訳ない、こいつはくわせもんだと。名簿や書類を受けてくれないのです」と回想する。そこで翌日長崎へ。「みなさん、怒りの広島、情けの長崎ですよ。(市役所の人は)気持ちよく受けてくれたんです。ご苦労さんです大変だったでしょうと、泊るところも聞いてくれました。今でも忘れません」。それから広島に戻って市長(当時は荒木武氏)に会い、長崎での体験を伝えたら「広島でも受けます」と語ってくれたという。

1985年、サンパウロで営んでいた時計屋を被爆者協会の運営のために飲食店兼食料品店「スキヤキ」にリニューアルした。被爆者同士が戦争の頃の話をできる場所だ。「本当に大変でしたが懸命に働きました。被爆者協会は作った最初から会員からお金を貰っていないボランティアなのです」と言う。協会の活動は広島や長崎の県庁から送られている書類の代筆や日本からの医師団の案内、南米被爆者の実態調査や裁判支援など多岐にわたっている。「今やっている一番大きなことは、現地でブラジルの若い方に原子爆弾のあの日のことを伝える平和運動です。中学、高校、大学生に、現地の言葉で被爆体験を伝えている。平和でなければいけないんですよと」。この活動が現地の青年たちの心ばかりか議会までも動かし、サンパウロのある市立高校に「Etec Takashi Morita」という名前がついた。存命人物の名前が市立高校につけられることは極めて珍しいという。この日も、ポルトガル語による原爆当時の様子の語りを行い、会場は息をのんだ。

* * *

盆小原氏は5歳の幼年時代、広島で爆心地から2キロの地点で父と2人で被爆した。母と姉は爆心地付近にいて、翌日探しに行ったがけれど遺体は見つからなかったという。「子供の頃、とてもおできができたり気分が悪くなって倒れたりして、小学校の時は肺病になり1学期休みました。19歳の時に心臓が悪くなりました。長く生きられないだろうと思って、それなら外国に見てみようと思い、20歳でブラジルに移住しました」という。建設省の産業開発青年隊として技能取得と勉学に励み、1961年に単身ブラジルへ。コーヒー農家、農業組合職員、貿易会社の経営など多くの職業を務めた。

「森田さんが被爆者協会を作った時は新聞に出ました。私は日本を出た時被爆者手帳をもう持っていたので、『この人たちは被爆者手帳を取るために会を作ったんだな』と思い、私は関心を持ちませんでした」という。そんな中、被爆者協会が作られてから2年おきに日本から医師団が来るようになった。1988年、「私も医師団の検診を受けられますか」と森田氏に言って協会入りしたという。「被爆者同士ではその体験を話します。しかし他の人には話したくないというのが被爆者の心です」といい、ブラジルでも被爆者への結婚差別などがあったことを証言。「被爆者協会は270人が会員になり、今は106人が残っています。平均年齢が80歳以上になり、いつまで続くかわかりませんが頑張ってやっていきます」と決意を語った。

* * *

「私が生まれたのは広島の中心部でしたが、落ちた時は爆心地から18キロ離れた田舎にいました。黒い雨が降り被爆したのですが、2歳だから全然記憶がありませんでした」と語るのは渡辺氏。被爆の事実を知らず25歳で海外移住事業団の「花嫁移住」企画でブラジルに渡って結婚した。それから13年し日本に一時帰国した38歳の時に親から被爆者だと教えられたという。「自分自身どうしていいかわからない状況でした」

渡辺氏は被爆当時2歳、当然その日の記憶はない。「被爆者協会のお手伝いを始めた時は何にも話せなかったです。証言ができる人は記憶がある人だけで、私は何もできないと思っていた。でも、証言できる被爆者の方が(高齢化、物故により)だんだん話せなくなっていった。私が退いていていいんだろうか。被爆者の一人として語らなきゃならないんじゃないだろうか……分からないと言って逃げていてはいけないと思ったんです」という渡辺氏は11年前、事務所の資料を整理した。「南米に住んでいる200人の被爆者のアンケートが出てきたんです。ブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイ。ほとんど紙が黄色くなっていました。それをめくり、被曝証言を見たんです。私の知らない原爆。震えたんです。本当にこんなことがあったのかと」。また原爆の記録フィルムも見て涙した。

渡辺氏は「会長たちと接触していく中で、後世に事実を伝えていかなければならないと思うようになりました」と自分なりに語り継ぐことを胸に誓っている。同年齢で被爆し、12歳で死去した佐々木貞子さんへの共感も深い。「私も被爆直後、凄い下痢で親は覚悟していたようです。でも私はこうして生きている。禎子さんの想いを受けつぎ、出来るだけ私の被爆証言をしていきたい」。

竹田氏は「現場が分からないというので我々は色々なことをあきらめてしまう。けれど渡辺さんの話は我々にとって大きな教訓があると思う」と語り、その当時の記憶がなかった人、あるいは生まれていなかった人でも原爆や戦争を語り継いでいくことの必要性を語った。

質疑応答では「核のない世界の実現のために日本がすべきことは」と問われると、森田氏は「日本のニュースを毎日見ている。外地に居たら日本のことがよく見えるんです。絶対に核と人間は共存できないんだ、原発にしても原子爆弾にしても。どうして日本の人はわかってくれないのか。もう少し大きな目で考えてくれ」と訴え、「我々はその(核の)犠牲者であるということを忘れたことはありません」とした。盆小原氏は原子力発電所の問題を憂慮。「核廃棄物をどこに保管するか一つも決まっていません。どういうところに保管されるのか、はっきりと核廃棄物を管理する体制が世界中で求められている。原爆も原発も完全に廃棄して管理していただきたい。一日も早く原爆と原発をやめるよう世界中の人と協力していきたい」と述べた。渡辺氏も日本が率先して原発を放棄しない限り「毎年8月6日、9日に平和宣言をしようがその時だけで終わってしまう」と指摘し、唯一の被爆国としての行動を迫った。

また、「日本が憎いと思ったことはあるか」という質問には3人が全員「それはない」「日本を愛している」と即答。海外に移住はしたが国籍は3人とも日本のままだと述べ、故郷への想いを表した。

JICA横浜・海外移住資料館(横浜市中区新港2-3-1)の終戦70年企画展示「海を超えたヒロシマ・ナガサキ」は9月27日まで。無料。(岸本元)

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会場で販売中の書籍『海を超えたヒロシマ・ナガサキ』は竹田氏と和氣直子氏(ミシガン州立大学教授)の共著で、南北アメリカ大陸の被爆者たちの人生を取材し、多数の写真と共にまとめた貴重な記録。差別や体調不良、新天地での慣れない労働など様々な苦難を超えてきた在外被爆者たちの平和への想いはあまりにも重い。必読である。


カテゴリ: 取材
2015年08月15日 18時35分51秒 Posted by きしもとげん ( 4,399 PV ) 勢い:6


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