1: 名前:
名無しさん@ガグレカス :2008/12/02(火)02:10:07. ID: VeFJQP7om
2: 名前:
名無しさん@ガグレカス :2008/12/02(火)03:09:45. ID: VeFJQP7om
3: 名前:
名無しさん@ガグレカス :2008/12/02(火)03:10:55. ID: VeFJQP7om
1510年に元服する。
1515年には
菅領細川高國の偏諱を受けた長宗我部國親が元服。
1518年には
土佐一条氏の支援により國親は
岡豊城に復帰を果たす。
1522年に長男
一条房基が誕生。
1524年には次男
大内晴持(一条恒持)が誕生。
1527年頃に次男の恒持は天下人
大内義興の元に向かい、義興の子
大内義隆に養育され
恒持は
大内体制の下で栄える絢爛たる文化都市
山口で育った。
1529年に大内義興が没し、大内氏当主には義興の子
大内義隆が就任する。
大内義隆は教養豊かに成長した恒持を重用し、義隆の下で元服した子恒持は
足利義晴の偏諱を受け
大内晴持となる。
父が1539年(天文8年)に死去すると後を継ぎ、官位は正二位左近衛大将にまで昇ったが
1541年、房家の死からわずか二年後に病死。
土佐一条氏は房家の死から僅か10年で曾孫の兼定にまで世代交代を実現している。
弟
一条房通の後見を受け
一条房基が跡を継ぐ。