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一条房冬
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タグ:  大内政権 土佐一條氏 1498年生 【編集】

  一条房冬 とは?   (マイリスト:0件 | View:149回) [ 開閉 ]


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1: 名前:名無しさん@ガグレカス :2008/12/02(火)02:10:07. ID: VeFJQP7om GP:0
一条房冬(いちじょう ふさふゆ 1498-1541)
明応7年 - 天文10年11月6日(1541年11月23日)
父:一条房家
妻:伏見宮邦高親王娘・玉姫 大内義興の娘(大内義隆の妹)
兄弟:房冬 一条房通 東小路法行(?)
子:一条房基 大内晴持(一条恒持) 一条康政



2: 名前:名無しさん@ガグレカス :2008/12/02(火)03:09:45. ID: VeFJQP7om GP:0
父の一条房家は滅亡寸前の長宗我部氏を保護し
長宗我部國親を養育した人物。
孫はあの有名な一条兼定
次男は西国の覇者大内氏当主の大内義隆の養子となった大内晴持



3: 名前:名無しさん@ガグレカス :2008/12/02(火)03:10:55. ID: VeFJQP7om GP:0
1510年に元服する。
1515年には菅領細川高國の偏諱を受けた長宗我部國親が元服。
1518年には土佐一条氏の支援により國親は岡豊城に復帰を果たす。
1522年に長男一条房基が誕生。
1524年には次男大内晴持(一条恒持)が誕生。
1527年頃に次男の恒持は天下人大内義興の元に向かい、義興の子大内義隆に養育され
恒持は大内体制の下で栄える絢爛たる文化都市山口で育った。
1529年に大内義興が没し、大内氏当主には義興の子大内義隆が就任する。
大内義隆は教養豊かに成長した恒持を重用し、義隆の下で元服した子恒持は足利義晴の偏諱を受け大内晴持となる。
父が1539年(天文8年)に死去すると後を継ぎ、官位は正二位左近衛大将にまで昇ったが
1541年、房家の死からわずか二年後に病死。
土佐一条氏は房家の死から僅か10年で曾孫の兼定にまで世代交代を実現している。
一条房通の後見を受け一条房基が跡を継ぐ。




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